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プレス情報

エラベル2021 さんよう版 優良企業ガイド
株式会社 丸岡産商

やさしい空間 ゆたかなまちづくり <郷土の安心と安全を守る>

 建設業において、専門工事業者として技術を深めつつ、関連分野を拡げながら創業49周年を迎えました。フェンス・防球ネット工事では、マツダスタジアムのバックネットやCARP由宇球場のフェンスの設置工事を下請で工事しました。交通安全施設工事では、ガードレール、ガードパイプ、道路標識、カーブミラー、道路標示や区画線、横断歩道、など交通事故からみなさんを守る施設を設置します。防災施設工事では、ロックネットやストンガードなど落石対策施設を設置します。また、建築金物工事では、マンションやビルなどの様々な金属製品を取り付けます。決して目立つ仕事ばかりではありませんが、形に残る仕事を積み重ね社会に貢献していることが当社の誇りです。業績を社員に最大限開示し、利益を最大限還元する。そして各自がモチベーションを高め自主的に責任と権限をもって活動する。「やりがい」と「チームワーク」が当社の原動力です。仕事もしっかり、楽しいこともしっかり、それが丸岡産商です。

会社からひとこと

 人に喜ばれる仕事をする。やりがいを感じて仕事をする。経験を重ねて知識や技術を高める。丁寧な心を込めた仕事をする。仕事を通じて心豊かな人間になる。そんな会社を「ONE TEAM」で目指しています。

Adoption 採用にかける想い

誇りある未来へ夢の懸け橋


当社の人財育成の4つの柱は、『志』、『創』、『求』、『気』、です。
『志』=確固たる信念と妥協を許さない努力の積み重ねが夢を現実のものとするのです。「物分かりの良い若者」である必要はありません。真のプライドを持った「一流の頑固者」を目指して下さい。
『創』=「出る杭は叩かれる」と言いますが、当社では出る杭を大いに歓迎し、こだわりと熱いハートを兼ね備えたクリエイティブなプロ集団を養成します。

『求』=「OPEN EYES ON ALL」の精神で自主性と個性を活かしながら各人の能力を最大限に引き出し、無限の可能性を追求します。
『気』=「熱心な素人は玄人に勝る」を合言葉に、未知なる分野にも果敢にトライし、チャレンジ精神と活力を大切にします。
企業も、そこで働く人も、共に豊かでなければなりません。お客様は無論のこと、事業を通じて私たちに関係ある人は、皆どうしても豊かでなければなりません。私たちの仕事を喜んで頂くことが、私たちの喜びであり、感謝の心をもって社会に貢献したいと思います。

TOP Message
郷土の安心・安全を守る仕事への誇りが原動力

父の会社設立、そして私が事業を継承するまで

 当社は1971(昭46)年に父・丸岡豊が立ち上げた(名)丸岡商店広島支店が前身です。これは少々ワケありで、丸岡商店は曾祖父が九州・宮崎で裸一貫から興した材木屋なんです。父は4男で「4人目からは家業に関わらせない」と言われ、大学を卒業後、大阪で金網を製造・販売する大手企業に就職。3年目で山陽新幹線の建設で需要が高まる広島での支店立ち上げを任されたそうです。その後一旦東京に転勤しますが、都会暮らしは肌が合わないと前任地・広島での独立開業を決意。退職理由を「家業を継ぐため」としたので、名目上実家の支店、材木屋の鉄鋼販売部としたわけです(笑)。今、使っている机と本棚は祖父からの創業祝い、屋号紋も丸岡商店から継承したもので、コレだけは変えるなと父から厳命されました。父が独立するなら一緒に、と立ち上げに加わったかつての部下や下請けの職人さんもいて、その一人は今も現役バリバリでうちの大番頭を務めてもらっています。
 経営が安定した2年後に(株)丸岡産商を創設。大手の頃とは違ってフェンスやネット施工に付随する工事も引き受け、やがてガードレールや道路標識、外構関連等も手掛けるように。長男の私も小学生の頃から忙しくて現場の手伝いに駆り出されていました。父は私の進路には寛容で、「自分がやりたいこと、好きなことをやれ。ただし、もし会社を継ぐ気があるなら35歳までに決断しろ」とだけ言いましたね。その「35歳」の意味がわかったのは、ずっと後のことです。
 大学では経営学を学び、結局総合商社への就職を選びました。世界を飛び回ってスケールの大きい仕事をしたいと夢見たからです。ところが、配属されたのは、社内オンラインシステム導入ため新設されたシステム開発部でした。全くの門外漢で、何で俺が?と困惑するばかり。でも、「コイツはすぐ辞めるな」という周囲の視線を感じるとムクムクと反骨心が首をもたげ、辞めたら困ると言わせるまでやってやると(笑)。そこからはもう全身全霊をかけて仕事しました。コンピュータソフトに関する仕事は、常に新しい知識の習得が必要です。折角覚えたこともすぐに陳腐化します。身に着けたスキルを捨てながら更に新しいことを覚える勇気とセンスが必要だと感じました。将来的に自分の吸収力の限界が来ると思い、30歳の時に退職を決意。慰留は方々からされました。隣の部署の部長まで「辞めるなよ」と言ってくださり、最後の日は愛情と激励のこもった拳骨を喰らいましたが、ありがたい痛さでしたね。我がサラリーマン生活に悔いなしです。
 そうして広島に帰ってきたわけですが、再出発にあたって忘れられないエピソードがあります。ある現場に行った時のこと、職人さんに遠くから声を掛けられたんです。何かを取ってきて、と言っているようだけども騒音がひどくて聞き取れない。それでたぶんコレだろうと持っていったら、「馬鹿か。大学で何を習ったんだ!」とこっぴどく叱られましてね、車に戻ったら情けなくて涙が出てくるんですよ。で、俺はなんで泣いているんだと自問自答してみると、変なプライドというか、無駄な垢がついていたことに気づいた。新入社員の頃なら間違って怒られたら、「すみません!」ってすぐに謝っていたのに勘違いしている自分を反省しました。幹部は幼い頃から可愛がってくれた人達だし、手伝いで現場も知っているから楽勝とどこか舐めてもいた。父が帰るなら35歳までにと期限をつけた理由はこれかと妙に納得した。その時に気持ちがスパッと切り替わったんですね。この無駄な垢を早くとらないと間に合わない。遅れを取り戻すために人の2倍、それも中身の濃い仕事をしなくては、と。父は65歳で亡くなり、一緒に仕事ができたのは10年ばかりでしたから、ぎりぎり間に合ったかなと思います。

他社がやらないことニッチな分野に活路あり

 会社に程近い、広島市安佐動物公園のちょっと変わった四角錐の大鳥舎ネットはその頃の仕事ですね。冬場は降雪もありますから、ネットは雪が降っても溶けやすい特殊な繊維なんです。他にもトラ舎の金網、キリンテラスの柵など動物の生態に応じて一つひとつ素材や形状を検討し、閉園後、夜の間に施工作業をするんです。道路関連の工事も交通量の少ない夜間作業もありますし、雨が続いて法面の崩壊や落石の危険があるという時には急きょ防災工事の要請があったりもします。そんなニッチな仕事ですが、現場の数は大小合わせて年間およそ2500件にのぼります。他社がやらないことを率先してやり、汗をかくことを厭わないからこそ、当社に仕事の依頼がある。“誇りをもって、徹底的にその姿勢を貫くべし”と父の背中から学びました。
 数えきれない現場の中で、特に記憶に残っているのはMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島のバックネットの施工ですね。2009(平成21)年3月竣工に向け07年末に工事が着手されましたが、解体作業や整地・基礎工事、仕上げの期間を除くと本体の工期は約半年。工期を短縮するため様ざまな工夫がされた現場でした。バックネットは通常グラウンド内から張るのですが、既に芝生が植えられた状態だったため、球場の外側から無線で遠隔操作しながら吊り上げたネットを下ろして設置するという初めての方式。指揮を執るのは元請け企業の現場監督でしたが、大号令と共に現場の人間がベクトルを一つに合わせて力を結集する様はまるで連合艦隊のようで痺れました。仕事の醍醐味を感じるのはこういう瞬間です。

次代を担う若手育成のため現場にチーム制を導入

 もちろん、通常はもっと小規模な現場が大半です。小回りをきかせて対応するためには、現場の社員が自分で目標や計画を立て、職人さんを動かし、自分で判断してお客さまにその場で返事ができる様に、責任と権限をもたせることが大事。さらにはそういう人材を育てる仕組みが必要と考え、私はチーム制を導入しました。それぞれが自分の仕事を全うすればよいというのが父の方針で、営業をしていた頃によく「人の世話を焼くな。本人のためと思って言っても欠点は直らんぞ。それぞれが自分で長所を磨くしかない」と言われましたが、それも一理あるものの、専属の下請業社を加えると30名超のベテラン現場施工者が揃っていて肥えた土壌があるのだから、次代を担う若手を積極的に育てるべきだと考えたからです。
 私たちの仕事は地味ですが、社会インフラを支える重要な役割を担っています。特に近年は自然災害が頻発していることから、郷土の安心や安全を守るという意味でもこの仕事の重要度はますます増しているといえます。どんなにAI技術が進歩しても「使命感を持って創造すること」「現場の状況に応じた臨機応変な対応」は人間しかできないことであり、そこを究め、社会の役に立ちたい・人に喜ばれたいというエネルギーを真っすぐに活かせる、それぞれの能力を力いっぱい発揮できる会社にしたい。それが私の目指す会社像です。

P r o f i l e

株式会社丸岡産商
代表取締役社長 丸岡 優介氏
1961(昭和36)年、広島生まれ。横浜国立大学経営学部を卒業後、大手総合商社・住友商事に入社。30歳の時に退職し、父の豊氏が創設した丸岡産商に入社する。2000(平成12)年7月、代表取締役に就任。現在に至る。家族は妻と2男1女。
 
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